2018年09月10日
〈マラソン忍耐---円谷選手〉1964東京五輪*4

昭和39年東京オリンピックマラソン。
2位で国立競技場に入って来た円谷選手、最後の力を振り絞る円谷を、余力を残していたヒートリー選手はスパートで抜き去っていきます。
円谷選手は振り向きませんでした。
結果は3位。死力を尽くした円谷選手はゴール後グラウンドに倒れこみました。
「後ろを振り向くな!」
小学校のころ運動会の走りをみた父幸七さんに、
「キョロキョロと後ろを見ながら走るのはみにくい。絶対するな。振り返るのは自分に自信がないからだ。
堂々とやって勝て」と叱られたことが、その後の競技姿勢に大きな影響を与えたといわれています。

円谷選手は、1940年5月13日現須賀川市に生まれる。地元の小中高校卒業後、
1959年陸上自衛隊入隊、
1962年、自衛隊体育学校に入学。
1964年東京オリンピックマラソンで銅メダル獲得後、
11月 東日本縦断駅伝に出場
1965年
10月 岐阜国体10000メートル2位(大会新)
11月 東日本縦断駅伝 2区間で区間賞
1966年
11月 東日本縦断駅伝3区間で区間賞
1967年
3月 円谷幸吉と走ろう青梅報知マラソン(現青梅マラソン)に参加
3月 読売水戸マラソン参加
5月 全日本実業団陸上5000メートル6位10000メートル
8月 椎間板ヘルニア、アキレス腱を手術。11月退院。

円谷選手は色紙にいつも二文字〈忍耐〉と書いていたそうです。
東北自動車道須賀川インターから1分、
福島県須賀川市の須賀川アリーナに円谷幸吉メモリアルホールがあります。
マラソンといえばアベベ、円谷幸吉の時代。
14歳の頃に陸上競技を始めた少年は
小学生の時に観た映画、東京オリンピックに心強くひかれました。
陸上部で活躍した長距離選手はマラソンをする大人になり、50年続けている走る人生で
念願の円谷幸吉さんの故郷を訪れました。

静岡市清水から東名高速~新東名~海老名JCから圏央道~久喜白河JC東北自動車道~須賀川インターまで約460キロ、所要時間約5時間。
小雨の須賀川市は、
坂道が続く緑豊かなまちでした。
あちらこちらに梨、ブドウ、モモ園が開園していました。
すかがわ市はウルトラマンを生んだ円谷英二さんの故郷でもあります。