2018年09月11日
「父上様 母上様 三日とろろ...」(円谷幸吉メモリアルホール)5

1964年東京オリンピックで活躍したマラソン選手円谷幸吉さんは、
1968年(昭和43年)1月8日
27歳の生涯を自ら閉じました。
その遺書が円谷幸吉メモリアルホールに展示してあります。
遺書を残して
命をかけてマラソンを走った選手がいたことを知ってほしいと思います。

三島由紀夫、川端康成という二人の文豪が円谷選手の遺書を絶賛しています。
美しい自尊心
千万語尽くせぬ哀切

今年はちょうど亡くなって50年です。
生きていれば78歳。
毎年10月円谷幸吉メモリアルマラソンが行われています。
同じ東京オリンピックを走り、メキシコで銀メダリストとなった君原健二さんは毎年招待選として出場されています。
円谷さんと君原さんの友情をも感じます。
♪
ある日走ったそのあとで
僕は静かに考えた
誰のために走るのか
痛い足を我慢して
見てほしかったもう一度
表彰台の晴れ姿
だけどからだは動かない
もうこれ以上は走れない
日本のためのメダルじゃない
走る力の糧なんだ
父さん許して下さいな
母さん許して下さいね
あなたにもらったものなのに
そんな命を僕の手で
(詩は少し前後しています)
茶木みやこ(元ピンクピクルス)さんの歌です。
↓
一人の道 https://g.co/kgs/omzgvv
ホールでは当時のマラソン実況放送と共にこの一人の道も流れています。
映画〈駅 ステーション〉。
オリンピック出場を目指す射撃の名手の刑事役、高倉健さんが食堂で昼食をとっているときにTVのニュースで「東京オリンピックマラソン銅メダリスト円谷幸吉さんが自殺しました」と流れます。それを聞いた健さんがテレビの方へ振り向く
場面も印象的でした。
奥の細道
松尾芭蕉は須賀川市を訪れています。
そのゆかりの十念寺に円谷選手は眠っています。
お参りもさせていただきました。
10月21日メモリアルマラソンの看板を設置中の須賀川市でした。
来年以降にはメモリアルマラソンに参加できたら...と思います。